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  フィリピン関連ニュース@MMG掲示板(その25)



生き永らえて:激戦地の記憶/1 元兵士3人「悠々自適」の心の奥に /山梨
毎日新聞
<小石沢正さん(87)は大正10(21)年3月1日、7人兄弟の次男として三富村(現山梨市)で生まれた。昭和16(41)年、松里村(現甲州市)の国民学校で9カ月教壇に立った後、フィリピンに出征して終戦> 私は子どもたちに命の尊さを教えながら、死にゆく仲間を助けてやれなかった自分の惨めな戦争体験を戦後60年余り、話すことはありませんでした。 ...

http://mainichi.jp/area/yamanashi/news/20080815ddlk19040054000c.html



戦没者の遺骨収集進まず なお100万柱が海外に眠る
MSN産経ニュース
第二次大戦中にフィリピンやニューギニアなど南方地域で戦死したり、旧ソ連で抑留中に死亡したりした海外戦没者の遺骨収集が進んでいない。南方地域について厚生労働省が「集中的に情報収集する」としていた3年計画が本年度で終了。収集遺骨数の増加につなげる有効な ...

http://sankei.jp.msn.com/life/education/080815/edc0808151216006-n1.htm



語る・伝える平和:’08滋賀/4 ジャングル行軍、フィリピンから生還 /滋賀
毎日新聞
太平洋戦争で元衛生兵としてフィリピンに出兵した竹山雅一さん(93)=竜王町山之上=の体験談が終戦記念日の15日、町の有線放送の特別番組(音声)で紹介される。年々、戦争経験者が少なくなる中、「(戦争に)行った事実が役に立つなら」と承諾。 ...

http://mainichi.jp/area/shiga/news/20080815ddlk25040337000c.html



戦没者悼み、都内で追悼式
新潟日報
東京都の日本武道館で行われた十五日の全国戦没者追悼式で、上越市の塚田慶子さん(68)が本県参列の遺族66人を代表して献花し、35歳で激戦地のフィリピン・ルソン島で戦死した父一雄さんに思いをはせた。 陸軍大尉だった一雄さんは終戦前年の1944年11月、戦地に赴いた。 ...

http://www.niigata-nippo.co.jp/pref/index.asp?cateNo=1&newsNo=112664



趙暁宇氏がアジア開発銀行の副総裁に
北京週報 日本語版
金立群氏は7月31日に任期満了で帰国した。 趙暁宇氏は1999年3月〜2000年9月まで同行の中国執行理事を担当。 アジア開発銀行はアジア・太平洋地域の地域的な国際金融機関として、1966年に発足。本部はフィリピンの首都マニラにあり、現在67のメンバーで構成される。

http://www.pekinshuho.com/zxnew/txt/2008-08/15/content_142947.htm



ボホール 観光に命を削るサル
東京新聞
フィリピン中部ボホールを訪れる観光客のお目当ての一つは、フィリピンメガネザルと呼ばれるターシャだ。体長約一〇センチで「世界最小のサル」とも言われる。一時は絶滅の危機にも陥ったが、大きな目やしぐさがかわいらしく、人気は高い。 ボホールにはターシャに会える観光施設がいくつもあり、腕に乗せて写真を撮ることすらできる。そうした施設を訪れた数日後、今度は保護活動をしているフィリピン・ターシャ財団を訪ねた。「彼らの命は数カ月、いや数週間でしょう」。職員はそう言って悲しげに首を振った。本来の寿命は十五−二十年だが、観光客相手のストレスで死んでいくという。

ttp://www.tokyo-np.co.jp/article/world/worldtown/CK2008081502000259.html



【連載】花言葉は「生きなさい」 特攻花の物語<4>勲章 遺骨に種が付いて来た
西日本新聞
フィリピンの捕虜収容所などで死亡した軍人や軍属と、海外から引き揚げ途中に亡くなった人の遺骨計約6500柱が眠っている。だが9割の遺族はその事実を知らない。 地元の「佐世保釜墓地戦没者護持会」によると、在外邦人の佐世保への引き揚げが一段落した1949年1月、フィリピンから到着した「ぼごだ丸」に積まれていたのが4822人分の遺体と遺骨だった。

http://nishinippon.co.jp/nnp/lifestyle/topics/20080814/20080814_0001.shtml



平和な未来誓う 鹿児島市で戦亡者慰霊祭
南日本新聞
1944(昭和19)年に空母・瑞鳳に乗艦していた兄をフィリピンで亡くした宮下俊夫さん(80)=同市甲突町=は妻のヒサヱさん(82)とともに参列。「戦争を経験した私たちの年代は少なくなったが、もっと声を大きくして語り継いでいかなければ」と話した。

http://www.373news.com/modules/pickup/topic.php?topicid=1&storyid=12234



兵庫から103人参列 戦没者追悼式
神戸新聞
柏原日赤病院の院長で旧制柏原中学(現柏原高校)の校医などを務めた薫さんは一九四四年、軍医としてフィリピンに赴き、帰らぬ人となった。「亡くなった時の様子も分からず、遺品も何もない」と勲さん。「絶対に戦争はあってはならん。不幸な家庭をつくったらあかん」と力 ...

http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0001340635.shtml



長野県から全国戦没者追悼式に参列した遺族ら=15日、東京都千代田区の日本武道館
信濃毎日新聞
塩尻市遺族会連合会会長の寺沢尚武さん(64)は、生まれて間もない自分に名前を付けて出征した父親をフィリピン・ルソン島で失った。小学校に入るころ、「遺骨」として届いた砂のようなものが入った箱を胸に抱いて塩尻駅から自宅へ運んだ記憶だけが、かすかに残る。 ...

http://www.shinmai.co.jp/news/20080815/KT080815FSI090003000022.htm



終戦記念日:戦後63年・戦没者追悼式 平和ありがたい
毎日新聞
最高齢となる94歳の飯村ヨツさん=東京都足立区=は、フィリピン・ルソン島に出征した夫の正重(しょうじ)さんを亡くした。終戦3年後に渡された骨つぼに入っていたのは、氏名が書かれた紙切れだけ。今でもふと「お父さんは、どこかで生きているかも」と思う時がある。 ...

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080815dde041040065000c.html



海外報道機関、北京五輪を評価
中国情報局ニュース
フィリピンの「マニラタイムズ」は、「五輪を政治と結びつけようとする声は、ここ数日聞かれなくなっている。中米の金メダル合戦が注目を集めている。五輪期間中、試合に注目するべきなのは言うまでもないことである。スポーツや友情こそ五輪開催の精髄である」としている ...

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008&d=0815&f=national_0815_028.shtml



藤井英敏の実戦株式投資 第59回 二輪車関連企業への関心が高まる ガソリン高、健康志向の強まりが追い風
NSJ日本証券新聞
川崎重工業(7012)は新開発の小型バイクを東南アジアで拡販します。フィリピン市場に投入したばかりのスポーツタイプの小型車の販売が好調で、8月にはインドネシアにも投入しました。フィリピンでは当初の販売計画では年間2万台を予定していましが、引き合いが強く、2倍の4万台に上方修正し、生産量を増やします。

http://www.nsjournal.jp/column/detail.php?id=105334&ct=4



福井市で戦没者追悼式 平和祈り200人参列
福井新聞
医者だった夫・隆信さんをフィリピンのルソン島で亡くした伊藤富美子さん(87)=毛矢二丁目=は「今、健康でいられるのは主人のおかげ。私たちと同じような苦労を、今後二度と味わわせてはならない」と話した。 父・定尾さんを失った吉村良一さん(68)=荒木別所 ...

http://www.fukuishimbun.co.jp/modules/news2/article.php?storyid=4813



終戦の日 「戦争身近に感じて」 小倉北区 忠霊塔前で戦没者悼む
西日本新聞
海軍に所属していた父親がフィリピン沖で戦死した小倉北区吉野町の女性(63)は「父は私の性別も知らないまま亡くなった。若い世代にとって戦争が虚像とならないよう、父が書いた手紙などの遺品を見せて身近に感じるようにしたい」と話していた。

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/41518



終戦の日 不戦の誓い新たに 戦没者の冥福を祈る 「憲法九条は日本の宝」
西日本新聞
第2次大戦でフィリピン・ルソン島に出征した父が42歳で戦死したという同市縄手町の永利光子さん(71)は、平和の祭典である北京五輪の開催中に、ロシアとグルジアの紛争が起きた問題に触れ「戦争はどうしたらなくなるんでしょうかね」と静かに語った。 ...

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/41521



次代につなぐ祈り 栃木県護国神社で戦没者追悼式
MSN産経ニュース
わずか11カ月の新婚生活で、夫の東一さん=当時(27)=がフィリピンで戦死した栃木市の金子ふさ子さん(87)は戦後、夢中で働いて子供を育て上げた。戦争で夫を亡くした同じ境遇の知人らは高齢のために体調を崩すなどしたため、今年の追悼式に出席できたのは金子 ...

http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/tochigi/080816/tcg0808160300000-n1.htm



戦没者追悼式に2500人 松山・県民文化会館
MSN産経ニュース
フィリピンのルソン島で父親が戦死した八幡浜市の自営業、鳥津君子さん(73)が戦没者を代表して「父の眠るフィリピンをぜひ訪れ、一握りの土を持ち帰って母の墓で一緒に眠らせたい。平和の尊さ、命の大切さを子孫に伝えていくことが私たち遺族の務めです」と追悼の辞を ...

http://sankei.jp.msn.com/region/shikoku/ehime/080816/ehm0808160314001-n1.htm



平和の尊さ思いはせ 終戦記念日 福井で戦没者追悼式
読売新聞
終戦直前にフィリピンで夫が戦死したという同市勝見、寺島道子さん(91)は「戦後は懸命に働いて子どもを育てた。今も世界で紛争があるようだが、戦争は絶対にしてはいけない」と話した。 兄をフィリピンで亡くしたという同市清水畑町、高島幸甚さん(89)は、自身 ...

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukui/news/20080815-OYT8T00744.htm



本県から74人が参列 全国戦没者追悼式
下野新聞
本武道館で十五日行われた全国戦没者追悼式には、本県から七十四人の遺族が参列した。平均年齢は七一・五歳。本県の参列者を代表して戦争で兄を亡くした霜鳥武雄さん(82)=鹿沼市貝島町=が献花した。六十三年前、茨城県で出征命令を待っていた霜鳥さんの元に、兄広秋さんがフィリピン沖で戦死したとの知らせが届いた。

http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/local/news/20080815/37823



平和の願い鐘に込め -石川-
読売新聞
終戦記念日の15日、県内でも戦没者を追悼する式典や、平和を願う催しが行われた。終戦から63年がたち、戦争経験者が少なくなる中、風化を懸念する声が相次いだ。............夫がフィリピンで戦死し、毎年参列している金沢市笠舞の古田澄子さん(87)は「並べられたイスの数が年々減っていくのがさみしい限り。やがて戦争を知る世代がいなくなっても、平和の尊さ、命の大切さを考える日として続けてほしい」と話した。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ishikawa/news/20080816-OYT8T00059.htm



生き永らえて:激戦地の記憶/2 仲間は子どもに戻って死んだ /山梨
毎日新聞
加納さんが死線をさまよっていたころ、標(しめぎ)俊雄さん(93)はビルマ(ミャンマー)の密林で敵の攻撃におびえながら敗走。満州に駐留していた小石沢正さん(87)は、激戦地のフィリピン・レイテ島に向かう準備に入っていた。=つづく.

http://mainichi.jp/area/yamanashi/news/20080816ddlk19040071000c.html



終戦記念日:平和への誓い新た 県内でも戦没者追悼式 /熊本
毎日新聞
曽祖父をフィリピンで亡くした河内小3年、伊藤幹泰君(9)が「ぼくの家ぞく」と題した作文を読んだ。残された曽祖母から、周囲の人に助けられながら4人の子供を育てた話をたびたび聞き「人と人は助け合い、思いやることが大事だと実感した。みんなが命を大事にして生き ...

http://mainichi.jp/area/kumamoto/news/20080816ddlk43040438000c.html



姫路で戦没者追悼式 63回目終戦の日
神戸新聞
六十三回目の終戦記念日を迎えた十五日、西播磨地域でも追悼行事が行われた。遺族らはあらためて不戦を誓い、平和の大切さをかみしめた。(井関 徹) 姫路市では、市戦没者追悼式(市遺徳顕彰会主催)が市民会館であり、戦地や姫路空襲などで親族を亡くした遺族や市民ら約 ...

http://www.kobe-np.co.jp/news/seiban/0001343430.shtml



ブロードキャスト:間違った選択は今も?=荻野祥三
毎日新聞
多くのフィリピン市民が犠牲になった。12日が「こうして村人は戦場へ行った〜滋賀県旧大郷村 徴兵記録〜」。13日「BC級戦犯 獄窓からの声」。朝鮮半島出身の日本兵の戦犯の問題も取り上げている。14日は昭和史研究家として知られる作家の半藤一利さんが、昭和史と ...

http://mainichi.jp/enta/geinou/news/20080816dde012070074000c.html



比残留児の父親情報を NPO、国籍取得へ呼び掛け
琉球新報
【東京】フィリピンで日本人男性と現地人女性の間に生まれ、戦後の混乱で取り残されたフィリピン残留日本人2世の問題で、民間非営利団体(NPO)フィリピン日系人リーガルサポートセンターは現在、フィリピンに住む県関係2世3きょうだいの国籍取得のため、きょうだい ...

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-135302-storytopic-1.html



川に18歳流され死亡 神奈川・相模川
MSN産経ニュース
16日午後3時40分ごろ、神奈川県愛川町の相模川で、相模原市のフィリピン籍の無職、エステバン・サツキさん(18)が流された。約1時間後、県警のヘリコプターがエステバンさんを発見、相模原市内の病院に運ばれたが死亡した。 厚木署によると、エステバンさんは流 ...

http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/080816/dst0808162142014-n1.htm



戦場で散った霊安らかに 遺族ら平和願い法要
中日新聞
一九四四(昭和十九)年四月にフィリピンのホロ島で兄を失ったという敦賀市井川町の芝山強さん(84)は「戦争は虐げられた者たちが反発することで起こる。今の世界はいつ戦争が起きてもおかしくない状況」と危機感を募らせていた。 (立石智保)

http://www.chunichi.co.jp/article/fukui/20080817/CK2008081702000006.html



ニワトリの羽でできた合成板材
AFPBB News
【8月16日 AFP】フィリピンの科学者が、ニワトリの羽から作られた新しい建築用合成板材を開発した。これにより、アジアの建築界が大きく飛躍する可能性もあるという。この新しい合成板材は、フィリピン大学ロスバニョス校(University of the Philippines Los Baños)のMenandro Acda教授が開発。経済的で環境に優しいとして歓迎されている。

http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/environment/2506299/3182357



福岡での体験を作品化 アジア美術館で 海外の芸術家2人
西日本新聞
福岡に滞在し、制作活動を行ってきた海外の芸術家2人の作品展が16日、福岡市博多区の福岡アジア美術館で始まった。映像作品やインスタレーション(空間展示)などを出品しており、入場無料。31日まで。2人はインドのミーラ・ジョージさん(29)と、フィリピンのドン・サルバイバさん(29)。同美術館の美術作家交流事業に参加するため、6月から福岡に滞在。市民を対象としたワークショップの講師も務め、福岡での体験を反映させた作品を仕上げた。 ...

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/41726

Tapos Po


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