2007年10月10日

Condolence

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写真、文章: 美山 治 (ミヤマ オサム)
Photo & Text: Miyama Osamu


 2007年10月10日。ストックを切らせてしまったビールを買いに行こうとコンドミニアムのロビーへ下りたところ、少し遠慮がちな笑みを浮かべながらメンテナンス スタッフのボスが声をかけてきた。「今日はお休みですか」。ああ、なんか頼み事だなと思いつつ「うん」と軽く返事をすると、「これを読んでくれますか」と恭しく一枚の書類を私に差し出した。私は事情を既に了解し、ポケットから財布を取り出す。多分、誰かが亡くなったのだ。

 財布の中に適切な金額の紙幣があるかどうかを横目で確認しつつ書類に目を通すと「コンドミニアムのメンテナンス スタッフである某氏の母親が昨日、逝去しました。もしよろしければ、、、」とある。書類の発行人はコンドミニアムの管理人である。タイプされたその文字の下には、すでに寄付を行った人の署名とその金額が寄付者の自筆で記帳されている。こういう形式だと誰が幾ら寄付したのかが他人に分かってしまうので日本だと少しあれかなと思うが、私のような外国人には都合が良い。相場が分かるからだ。金額は画像の通りである。高いか安いかは読んでいる人たちの判断に任せるが100ペソなら200円から220円程度と想定してもらえればいいと思う。3人目の記帳者の"Condolence"という走り書きは、「お悔やみ申し上げます」というような意味だ。私は少し表情を固めに作りながら財布から抜き取ったお金を無造作にロビーカウンターのテーブルに置き、つとめて事務的に署名と金額の記入を行った。

 実はこの手の書類、以前はなかった。私がこのコンドミニアムで香典帳簿に出くわしたのは確か4ヶ月ほど前だったと思う。それまでは大抵周りに人がいない時などに、当事者が困った笑みを浮かべながらこっそりと話しかけてきて、個人的な会話の中でひっそりとお金の受け渡しが行われていた。ゆえに誰が幾ら渡したとか、誰がその申し出を断ったとか、そもそもそういう申し出自体受けていないとか、そういうことはうわさ話の範疇でしかなかった。

 基本的にお金についてその手の申し出をすることを、彼らは恥ずかしいと感じている。だから「お金」という単語は使わないし、金額も言わない。こっちは困惑する。そういった不透明なやりとりに対する住人からの苦情が理由かどうかは定かでないが、管理人はこれをコンドミニアムの管理の元で公明に行うと決めた。それが今回紹介しているこの香典帳だ。この国にありがちな不透明な金銭にまつわる風習を書類を使って管理するという意味において、香典帳への記帳はいわゆる近代化へのサインかなと個人的に思う。もっとも、これがよいことなのかどうか私には分からない。

 確かに引っ越してきたばかりの人でほとんど面識の無い人や、外国人にとって、いきなり個人的な香典の話を持ちかけられるというのはあまりに唐突すぎて少しぎょっとする。私自身、フィリピンへ来た当初は、この手の話には何度も遭遇しているし、違和感を覚え理解に苦しんだ。もしかして寸借詐欺かと思い拒否したこともある。「で、結局幾ら必要なんだ?」と半ば詰問に近い態度を取ったことや、当事者のポケットに紙幣を無理矢理突っ込んだこともあったように記憶している。彼らの文化をよくわかっていない私のような人間は、そうせざるを得なかったというのが事実だ。

 今回母親が亡くなったこのメンテナンス スタッフは色々私の部屋の修理をしてくれる人で、やれ樋が詰まってベランダの水が流れないからパイプ掃除してくれだとか、シャワーの水の出が急に弱くなっただとか、そういう苦情に対応してくれている。いつもはロビー付近の掃除だとかでその辺りをうろうろしている彼は、今日は姿を見せていない。寄付の現場に居合わせるのが恥ずかしいと思ったか、悲しみに暮れて閉じこもっているかは定かではない。彼は非常に控えめな男で、仕事の見返り、つまりチップを要求することは無い。にやっと照れ笑いをするとセサミストリートに出てきたオスカルみたいな顔になる。

 話がそれた。上で「チップ」と書いたのは、本来こういった部屋の修繕業務は支払済の共益費に含まれており、契約上、依頼された個々の修理に対して新たな支払いは発生しないはずだからだ。しかしそういった時、慣習的には実際に修理をしてくれた人に対して幾らかの現金を渡す。なぜなら先に書いた共益費の全てが従業員個々人に還元される訳ではないからだ。だから少しでも実労働者のサービスに対してなにかしらの還元をする。これが「チップ」だ。

 「共益費を既に払っているのだから、この修繕に新たにお金を支払う必要はない」、これは確かにある意味で正しい。契約書通りである。しかし実際に汗をかく人間は仕事量が増えても収入は変わらない。大げさな言い方をすると、収入の少ない労働者にとって、この領収書に記載されない不透明なお金「チップ」こそが実質的な実入りである。領収書に載ってしまうと、それは「チップ」ではなく「サービスチャージ」と呼ばれ、「チップ」とは似て非なるものに変化する。これは確かに労働者に還元されるが、書類に記載された金銭は税金が発生したり、他の従業員へ均等分配されたりすることがあるので、渡したい相手に渡したい金額は届かない場合がある。だから、私は幾ばくかの現金をチップとして直接当事者へ渡す。

 話がさらにそれてしまった。先に述べた唐突かつ困惑させられる申し出は、貧乏に起因する。例えば今回の彼の場合、出身はバコロドで母親はバコロドで亡くなった。故郷へ帰り、葬式を執り行うためにはメトロマニラからの往復の交通費と葬儀を挙げるための費用などが必要になる。そこに居合わせた人たちの話だと往復交通費だけで3000ペソは必要だとのこと。金額自体は彼らが思いつきで話しているだけなので、正確ではないが、諸々込みで最低でも数千ペソが必要になることは間違いない。日本円にして10000円とか15000円とかそういう金額だ。ただ、彼らはそれを払えない。その日その日を暮らして行くにはまあ問題ないだろうが、銀行口座もなく、タンス貯金だってない。母親が死んだとしても、お金がなければマニラで指をくわえてじっと悲しみに暮れるしか無いのだ。お金を持っている人にふと唐突なお願いごとをしたくなる心理は、今となってはわかる。

 もっとも寄付をしたとして、それが刹那的なのは理解している。確かに彼のことはよく知っているし、好感の持てる男だけれど、彼の母親については60歳で癌で亡くなったという以外、何も知らない。なので悲しみの感情は湧いてこない。ただ、バコロドまでの片道切符でも買えたらいいなあと思うだけだ。こういうケースの場合、行ったっきりでマニラに帰ってくるお金がなくそのままというケースは多く経験している。もう彼とは二度と会うことは無いかもしれない。この香典にはそういう意味も込められている。

 過去に無理矢理ポケットにねじ込んだ紙幣は領収書に載らないチップで、今回の帳簿は領収書に記載されたサービスチャージかなと思う。どっちがいいのかは私には分からない。でもそういう時代がこの国にもやって来ているようだ。

 今月はマッサージを2回我慢しなければならない。つまり私にとって今回のそれはそういう金額だということだ。 Condolence.



投稿者 MMG : 10:21 | - | |